徒然なるままに。

徒然なるままに日々のこと。なんちゃって教員の備忘録。

韓国より帰国

先日、無事に「韓国政府 日本教職員招聘プログラム」を終え、日本に帰国しました。
現地での学校や委員会訪問、授業、ホームビジット、そして国内外の仲間との繋がり・・・。あげればきりがありませんが、全てが貴重な経験となりました。

お世話になったACCU(公益財団ユネスコアジア文化センター)の皆様をはじめとして、本プログラムに関わった多くの皆様、そして快く送り出してくれた所属校、大学院関係者の皆様に心より御礼申し上げます。ありがとうございました。

親不知で日々の有難みを知る

〈近々私に会う方へ。〉
歯医者で親不知を抜こうと試みましたが、抜くことが出来ませんでした。左の頬が少々腫れております。明日に腫れが収まることを願いますが、そうもいかないそうです。そんで下記のお願い。

①顔を見ても笑ったり、ネタにしたりするのはやめましょう。(気もちはわかりますが、つられて私も笑うと痛みが走ります。)
②理由を尋ねるのはやめましょう。(語りたいのですが、痛みで口が開かない、話しても言語不明瞭です。)
③許可なく頬を触るのはやめましょう。(もとより許可などしません。)
④毎日の食事に感謝しましょう。

一番伝えたいのは④です。食事を3度も食べることが出来る日常のありがたさを痛感しました。何気ない日々のありがたさを学ぶこともESDでございます。

〈研修日誌を書くと言こと〉

 

 昨年度から研修日誌を大学院で書いていますが、本年度は研修に行く機会が前年度の倍あり、書く回数も多いため、パソコンに向かって省察を試みている日々なのであります。
 単なる記録、感想文として機械的に書けば簡単に済むのですが、(そうして済ませてきたことも数多くあるのですが、)せっかくの学びの機会なのと、大学院での学びを少しばかりでも深めたことによって、省察をすることの意義も感じているので、自身の内面に向き合って書くことを繰り返してきました。

 どんなことでも数を繰り返すと、成長していくのと同じように、この書くことによる省察も繰り返して行ってきたことにより、日誌に書く内容にも変化が表れてきたことを自分でも感じることが多くなりました。

 自分が授業や学校の風景を見て、どんな場面に違和感をもったり、どんな場面に関心をもったりするのかが良く分かります。また授業や学校経営そのもについても見る視点が、昨年度より明らかに変わってきたことが、日誌を読み返すと明らかになります。

 しかしながら、この日誌と言うものは、研修校への提出と大学院への提出が義務付けられているため、どこかに「読まれること」を意識して書いている自分がいるのも事実です。


 その意味で、本当に自分の内面に対して忠実に省察が行われた記録かと言うと、「なーんちゃってー(^▽^)」と舌を出し、ありのままの自分を制御する自分がいるのも事実です。どうしたって、学校と言う複雑な組織で生きる一人の小学校教員の本音やギリギリの感情の全てまでを記すことはできません。

 そうです。「ありのままのー♪(*^-^*)」なんて簡単に教え子たちは歌っていましたが、中年のオジサンは、本音と建て前を使い分けて生きるのです。いや、そう生きなければならぬのです。そして何より大切なことは、提出が義務付けられていなければ、怠惰な中年オジサンは、そもそも省察を日誌で記す行為などできません。
 パソコンに向かいながら、私は本音と建て前、義務と権利の世界を複雑に飛び回りながら、生きていることを改めて気づかされました。ありがとう。

〈去りし友に会いに行く①〉

 

鬼退治に行くはずが、青鬼に連れられて鬼ヶ島から逃れた仲間を確保しに行くことに。そんで今日は小平へ。要するに大学院で共に学んだ現職の仲間たちが、現場に帰り何を実践し、何を感じているかを探る旅でした。

 

いやー楽しかった。本当に学べるフィールドワークでした。

何がって、今日確保しに行った先生は、昨年度の学びを現場で生かして自分のものにしてる。そして、本人もそれを実感していたからです。

 

もちろん課題や限界も感じつつも、クラスにも学校にも、そして地域にも変革の波を起こしていました。
それが授業実践でも放課後の本音インタビューからも、バシバシ伝わってきました。
確実に彼の授業観、児童観、学校観は変容していました。そして、今までの経験と昨年度の学び、そして現在の実践についてメタ認知でとらえることができていたのです。

 

「うーん、わかるわかる。」「へぇー」「まじで!?それで、それでそれで?」ってこっちが、オープンクエスチョン意識せずとも出まくるインタビューをさせてくれて感謝、感謝。

共に同じ時間を過ごしたからこそ、わかり合える対話、新たな気づきをくれる対話でした。もう一度、インタビューを聞き直して、振り返りを起こしたいと思うほど、印象的な言葉が多かったです。

 

そんな中でも、強く感じたのは

「大学院に入る前に、こだわっていたことは何だったのだろうと思う。現場に戻ってこだわりを捨てたら、大したことはなかったな。」(趣旨)

 

かな。
この言葉は今の自分に新たな啓示をくれました。はい、読んでいる人に意味はわからなくても良いのです。自分にわかれば。

 

もちろん、これから確保しに行く仲間たちには、大学院で学んだことを生かせずに苦しんでいる人もいるでしょう。むしろ学んできたことが、即実践に繋がっている仲間は、少ないかもしれません。
しかしながら、そうした仲間たちにも会って何を感じ、何が障害となっているか、本音を聞くことが、この旅の目的にもなります。

 

現場に帰って、子供たちと触れ合い、生き生きと語る彼の姿は、昨年度まで私たちが知っている彼とは違う一面でした。残念ながら、彼は鬼ヶ島に戻る気はなく、現在のフィールドで、まだやりたいことが沢山あるようでした。確保ならず!さて、次の仲間探しの旅へと進むことにします。

研究メモ④ 文献より4「サンプリングと選択アクセス」について

第3章について

 

ウヴェ・フリック , 鈴木 聡志 訳『質的研究のデザイン (SAGE質的研究キット) 』,2015. 第3章

「サンプリングと選択アクセス」について

 

はい。3章です。しかしながら、学術本の翻訳って本当に読みにくい(-_-;)

今まで学術系の文献でスラスラ読めた経験が全くと言っていいほど自分にはない。もちろん僕の理解力に原因もあるのだが、今回の章も何度も往復して読むことに…。

そんなんですから、理解力の浅い自分が書いているマニアックな当ブログを読んでくださる危険極まりない人のために、読みにくかった翻訳本のこの章のエッセンスだけでも簡略化してまとめることで、少しでも分かりやすく伝わるようにしていきたい。↓

 

 

この章では質的研究の「サンプリングと選択アクセス」について、今までの章と同じように様々な論文や筆者の経験を根拠に挙げながら説明している。といっても、中心の話題はサンプリングのこと。

 

  • 量的研究でのサンプリングと質的研究のサンプリングは違う。量的研究は無作為に定式化されて行われるが、質的研究ではこれとは違う論理で、より定式化されたり、より意図的に柔軟に行われたりする。 
  • 意図的なサンプリングには、極端な例や代表的な例を中心に取り上げたり、利便性を考えたりしてやる例などがある。
  • 質的研究におけるサンプリングには、事例や資料のサンプリングだけでなく、事例や資料内のサンプリングも意味している。取り上げた事例や資料の中から、さらにサンプリングを詳しくしていくってことかな。
  • 行き当たりばったり的なサンプリングはダメだけど、サンプリングをする中で柔軟さも求められてくる。
  • 実証的な調査を行いたいフィールドへのアクセスは重要 

→この章で書いている「アクセス」って言葉は、多分、調査対象へが研究者が信頼して接近していくことだと感じた。

要するに、研究したい対象と研究者が信頼関係を築き、研究フィールドのキーパーソンの人と研究のやり方やインフォームド・コンセントをしっかり明確化することで研究しやすくなるよ、というようなことを述べていたと思う。

それによってサンプリングもやりやすくなる。うん。まぁ当たり前のことですな。

 

 うーん…。要約した文をこれだけ並べてもわかりにくいな。まぁ、でも自分があとで要約を見て、記憶にひっかかり思い返せたりするなら、まぁ良いとしよう。読んでくれた人ごめんなさい。

 

…我々のサンプルは、研究したい対象の、研究対象者の経験とその現象との関わりにおける適切さを代表することが出来なければいけない。ほとんどの研究では経験と関わりの多様さに関心があるため、比較的中心的な事例や中核的な事例ばかりではなく、フィールドにおける多様性と研究対象との結びつきの違いも入手しなければならない。

…たとえば、研究プロジェクトの最初にサンプル構造を決めて、それを援用する、というようにはいかない。サンプリングの決定をステップバイ・ステップで行い、様々な目標を一つずつ追いかけてゆくほうがずっと楽である。(p38)』

 

 初めに計画ありきで、やらなくてもだいたいわかるような研究をコンピュータではじき出して、「ハイ数字で出せました!」じゃーー何だかつまらないよね。もちろんそうした研究の積み重ねが、学問として大切なのもわかる。

でも、質的研究の醍醐味の一つに多様性の証明があるのかな。研究対象やフィールドと深くかかわり、地道に変化を追い、その中で研究者側のリサーチクエスチョンも深まる。そしてサンプリングも変化をしていく。その中で見えてくる、分かってくることがある。

うん。研究する前に読んでいたら、より参考になったかもしれない、そして相変わらず今までの章と同じように理解が難しい三章でしたね(笑)。

つまらないことばかり書いてないで、次回は自分の小学生時代の続きを書こう課と思います。

 

研究メモ3 文献より3 「アイデアからリサーチクエスチョン」について

ウヴェ・フリック , 鈴木 聡志 訳『質的研究のデザイン (SAGE質的研究キット) 』,2015. 第2章 「アイデアからリサーチクエスチョン」について

 

随分と間が空きましたが、読み進めている本の2章の話。自分が進めている研究については、リサーチクエスチョンを明確にもって進めているつもりだが、参考のために第2章の内容も整理。

 

まずこの章では、研究のアイディアについて代表的な研究者の実例を用いて紹介されている。どの研究も、個人的な体験がもとになって関心が生み出されていることがわかる。自分も所属校での濃密な経験がもとになって、研究のアイディアが生まれていることは間違いない。どれだけ日々にアンテナをもち、「なぜ?」という問いをもち続けることは、研究の分野とか実践のレベルを越えて大切なのだと思う。

 

アイディアからプロジェクトを展開して、リサーチクエスチョンに練り上げる段階を第二段階として説明している。この第二段階では研究視覚(reserch perspectives)が必要と言っている。

「研究視覚って何だっけ?」と1章を読み返すと、ようするにデータ収集の方法とか、理論的立場とか、アプローチの仕方とか、記述の仕方などで、どんなやり方をとるか、という話らしい。どんな研究視覚を取るかで、研究そのものも変わってくるし、その逆で研究の目的によって研究視覚の選び方も変わるだろう。

自分が何を調べたいのか、リサーチクエスチョンを明確にしておくことが大事だという。そりゃそうだろう。研究なんだから。

 

「しかしながら質的研究やグラウンデッド・セオリーの初心者にとって、研究に答えるためのガイドラインとして明確なリサーチクエスチョンをもつことは、十分役立つと思われる。かなり漠然としたリサーチクエスチョンで始まる場合でさえ、最後にはプロジェクトの中で何度も洗練され、定式化され、時には焦点化し直されるだろう(より詳細な説明は、Flick2006,Chap.9 参照)。」 P29より。

 

 大学院での勉強を始める前、研究計画書を作成する上で読んだ本に「研究はテーマを決めたら半分、研究の目的を達成しているようなもの」って書いていたような、書いていなかったような…。

 

 質的研究だからといって場当たりにやっていいわけじゃないよ、漠然としたリサーチクエスチョンでも、焦点化できるように発展させて研究視覚を定めていこうぜ。計画もちゃんとしろよ、認識論、理論、方法論をアップデートしろよ、寝る前に歯磨けよ(うそ。)っていうお話かな。

  もう研究を進めてしまっている自分にとっては、分かっている話だけど、学んだことを整理する意味では有益だった章でした。

僕の小学校時代① ~BとCの覇権戦争~

  自身が小学校の教員ということもあり、自らの小学生時代の原風景みたいなものを、思いつくまま幾度かに分けて綴ります。記念すべき第一回は、私の小学生時代の学力について。

 

 今まで担任をしてきた教え子たちや同僚にも伝えていますが、小学校時代の私はとても勉強が苦手でした。国語や算数はもちろんのこと、体育や音楽などの技能教科も全くセンスがありませんでした。

  算数はチンプンカンプンな記号をひたすら眺めるだけ、図工は、唯一下書きだけが得意なデッサンも、絵の具を塗った瞬間にピカソもビックリの作品の完成、音楽は音痴な歌を歌い周りから苦笑を買う…。はい。皆様ご想像の通り、典型的なデキナイ子というレッテルを張られてしまった小学生です。そんな私とは逆に、姉は何でもできるタイプの女子。比べられることは、とても嫌でした。とにかく学校の授業というもののイメージに対して、訳が分からない&能力が追い付かない取組みを、ひたすら我慢するという印象が強く根付いたと思います。

 

   教師になって気づいたのですが、私の小学校時代の成績は、なかなか、そう簡単に取れるものではありません。成績表記はABCの三段階だったのですが、毎年の評価の欄はBとCのオンパレード。互いに領地をめぐり激しく争っていました。結果として、年間を通すとCが勝利を挙げることになります。時には、Cがこれでもかと言わんばかりに領土を拡張した学年も数度ありました。(何とかBもそれなりにがんばり、Cの全面勝利に至ることはなかったです。) 

 

  そんな自分が小学校の教師になってしまったものですら、子どもたちには

「いいか、先生が小学生の時ほど勉強が出来てない子は、このクラスにいない! そんな先生でも大人になって、こうして働いてご飯食べられてるんだ。だから大丈夫!成績が悪くても落ち込むな!」

と何とも説得力のない論を熱く語ってしまっている教師な訳です。

 

  しかしながら、何とか社会人に慣れた現在の自分も、新しい物事を学ぶとことに対して苦手な意識が付きまといます。事実、人より物覚えが悪いので、勉強でも運動でも音楽でもマスターしている人を見ると、とてもカッコよく見えて、それだけで尊敬してしまいます。小学生時代のある担任の先生と今でも会う機会があるのですが、私はボーっとしていて、活発に活動する子をニコニコしながら見ているような大人しいイメージだったそうです。今でも、その面影があるそうです。

 

 ここまで書くと、学校の生活にとても苦しんで過ごした子に思われる方もいるかもしれませんが、実際は真逆で学校は大好きでした。おかげさまで、友達にはずっと恵まれ、勉強は苦手ながらも楽しく過ごすことが出来たと思います。ですから、私の学校に対するイメージは、とても明るいです。

背景として、貧しいながらも温かい家庭に育ったこと、担任をしてくれた先生方も優しかったことが、友達や学校そのものに対して繋がりが持てやすく過ごせる要因だったのではないかと考えます。やはり、基盤となる見守ってくれる人の存在は、とても大切なのだなぁ、と感じます。授業が苦手だらけでも、こうして学校そのものに対しては明るいイメージをもって育った大人が、世の中にいるのですから。

 次回は、そんな苦手なものだらけの自分が勉強をそれなりに面白いと思ったきっかけや、友達のことでも書こうとかと思います。